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「あたし付き合わないとそういうことしないから」について考えてみた

「あたし"付き合わない"とそういうことしないから」

 

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何度ベッドの上でこの言葉を聞いただろうか。

 

はっきりいってもうこのありきたりなセリフは聞き飽きた。

 

「"付き合わない"としない」

「"付き合う"のが普通でしょ」

「あたしたちって"付き合ってる"んだよね?」

 

なぜ女の子はそこまで"付き合う"ことにこだわるのだろうか。

今回はこのことについて考えてみたい。

 

 

 

"付き合う"こと自体には実質的な効力はない

とは言ったものの、僕も以前は"付き合う"ということをあたりまえのようにやっていた。

 

"付き合って"という男から女への打診→女が了承→"付き合う"→深い仲になる

 

というプロセスを踏むのが、

世の中の常識であり、

社会的なルールであり、

誠実なやり方だと信じていたからだ。

 

しかし、ある経験をきっかけになにかがおかしいと気付き、

"付き合う"かどうかなどもはやどうでもよくなった。

 

it-warrior-onc-onclog.hatenablog.com

 

結局のところ"付き合う"とはただの口約束であり、

まったくもって実質的な効力はない。

 

付き合っていても、

1年間は別れないという保証があるわけでもないし

特典として復縁チャンスが与えられるわけでもないし

別れて慰謝料をもらえるわけでもない。

付き合っていてもいなくても、

男女の関係はどちらかの気持ちが途絶えたところで終わるときに終わる。

別れを切り出されたところで、

どれだけ「や、でも付き合ってるから」と繰り返し主張しようとも

どちらかの気持ちがなくなれば本質的には関係はそこまでなのだ。

 

 

 

なぜ"付き合う"ことに執着するのか 

それでも多くの女の子はなぜ"付き合う"ことに執着するのだろうか。

 

もちろんその背後にあるメカニズムについては海より深く理解しているつもりだ。

要するに、男からのコミットを引き出したいのである。

それは実質的効力を伴なおうと伴わまいと関係ない。

 

本能によるものだからだ。

 

女は男に比べ、圧倒的に生殖コストが高い。

男は精子の放出にほとんどコストはかからないが、

女は受精から出産まで約9ヶ月もかかるうえ、

子供が生まれてからも授乳しなければならない期間もある。

もちろんその間にも食べ物は必要になるし、外敵から身を守る必要もある。

つまり、進化論的にいえば、

「どこにも行かずあなたを守り、子育てにも協力しますよ」

とコミットしてほしいのだ。 

 

 

 

「あたし"付き合わない"とそういうことしないから」の根底にあるマインドとは

こう考えると気持ちはよくわかる。しかし、落ち着いて考えてみよう。

ヒトが他の動物と異なる所以は、

思考や理性をつかさどる脳の前頭葉という部位が発達したことである。

これにより、目の前の食べ物や飲み物を保存したり、

仲間に分け合ったりして、社会的な生活が営めるようになった。

要するに、ヒトは短期的な目の前の欲望や快楽に流されることなく、

自分を律することができるのである。

 

にもかかわらず、本能的に発せられたであろう

「あたし"付き合わない"とそういうことしないから」

は、現代の恋愛で有効なアクションとなり得るのだろうか。 

もっというと、このアクションによって互いに幸せになれるだろうか。

 

答えはNOだ。

 

なぜなら、その根底には

セックスと相手からのコミットを交換しよう

というマインドがあるから。

 

セックスと引き換えにコミットをせがむのは極めてダサいアクションといえる。

 

落ち着いて考えてみよう。

もし男性から、

「付き合うし結婚するしお金もいくらでもだすからセックスさせて」

とアプローチされたらダサいと思わないだろうか。

これと同じである。

 

要するに

「セックス以外にあなたに与えられるものはありませんよ」

と言ってる女性に魅力を感じないし、長期的な関係を築きたいとは普通思わない。

 

 

  

そもそも恋愛はふたりともの効用(≒うれしさ)が増えるプラスサムゲームであり、

セックスを奪い合うゼロサムゲームではない。

 

このプラスサムゲームで大切なのは

マンコ自体の価値を釣り上げて相手からコミットを奪うことではなく、

マンコの先にあるなにかを与えることなのではないだろうか。

 

 

 

人はなぜ恋愛をするのか

人がなぜ恋愛するかというと、

それは単なる生殖活動としてだけではなく、自分の人生を生きるためである。

必要以上に周りに流されず、自分のやりたいことをやって、

死ぬ前に「自分の人生は最高だった。やりきった。」と後悔しないためである。

  

そうなるためには、僕らは恋愛をすることで

相手を縛るのではなく解き放たなければいけない。

相手から奪うのではなく与えなければいけない。

 

"セックス"や"付き合う"(または結婚)という呪縛から解き放たなければいけない。

それらを奪い合うのではなく、それらに替え難いなにかを与えなければいけない。

 

 

アドラー心理学に本質をつく一節がある。 

 

人は『この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える』と思えたとき、愛を実感することができます。劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。ほんとうの愛とは、そういうことです。(引用元:『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』

 

人は押さえつけようとすればするほど反発したくなる生き物だ。

互いに自由になる勇気がなければ、そのときは相手を引き留められたとしても

長期的な関係を築くことはできないだろう。

 

もしかすると、 

「あたし"付き合わない"とそういうことしないから」

はこの勇気をもてなかったがゆえにでた言葉なのかもしれない。

 

 

最初は互いを認め合えるだけの少しの勇気があればいいのだ。

少しだけ勇気をもてれば、

理想のパートナーをみつけられるだけなく、

現実世界の景色までも変わる。

目の前の厳しい現実は動かせないものではなく、

その気になれば変化させられるものだと気づく。

 

そして、そのとき得られる本当に価値あるものは、

自ら起こした個々の変化でもなく、理想のパートナーでもなく、

自由に自分の人生を生きれるようになったということではないだろうか。

 

 

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「確かにそうだね。まだ終電間に合うだろうから駅まで送ってくよ。」

 

僕はその子に二度と会うことはなかった。

 

 

おしまい

 

 

参考文献