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信頼関係を築く技術は教祖さまに学べ!

「だーかーらーさー。なんでそれが正しいっていえんだよ。いやてめえの意見なんか聞いてねんだよ。ファクトとロジックで説明しろや」

 

この時期になると新人研修を終えて配属された1年目社員がこうして先輩に激詰めされているのをよく目にします。

それもそのはずで、顧客に高い高いお金を払ってもらうには、顧客よりも賢そうにみせなければならないからです。

論理的に考えることは、それが打ち手として有効であろうとなかろうと、とにかく自分たちを賢いっぽくみせるにはうってつけのツールです。

 

僕もかつて同じように詰め上げられ、ロジカルターミネーターとして育て上げられました。

しかし、僕は2年目からひとり顧客先に常駐することになり、意外と早く壁にぶち当たりました。

どれほど論理的で内容的によさげな提案であっても、顧客にまったく受け入れられないのです。

受け入れられないどころか、むしろ反発されることさえあります。

「おまえさんはなんにもわかっちゃおろん」と。

最初はただ顧客がバカなだけかと思っていたのですが、何度か似た状況にでくわすうちにどうやらそうではないことに気づきました。

その理由はとてもシンプルで顧客との信頼関係を築く前の段階で、具体的な提案を通そうとしていたからです。

これではどれだけ論理的で、顧客からのツッコミを跳ね返そうと、売れるものも売れません。

「どんなふうに提案するか」よりも「いかにして信頼関係を築くか」のが大切なのです。

 

恋愛も同じです。

男はホテルにいつも「どう誘うか」ばかりを考えがちですが、信頼関係築けていれば「今日は一緒にいよっか」という極めてシンプルなフレーズですんなりと連れ込めます。

ここでも「どんなふうに誘うか」よりも「いかにして信頼関係を築くか」が大切なのです。

 

ではその信頼関係とはどうやって築いたらいいのでしょうか。 

この信頼関係を築くノウハウについては、ほとんどの場合バイアスだらけのクソみたいなアドバイス、すなわちクソバイスで溢れています。

 

「おれの熱意が通じたんだ!」

「相手が勉強してやっとおれの価値に気づいてくれたんだ!」

「諦めず何度も告白したからだ!」

 

アホか、と。

 

信頼関係を築くには、きちんと実証された体系的な技術があります。

そう、教祖さまです。 ※つい最近みつけました(笑)

教祖の成立要件は以下の二要素です。つまり、「なにか言う人」「それを信じる人」。そう、たったのふたつだけなのです。この時、「なにか言う人」が教祖となり、「それを信じる人」が信者となるわけです。

教祖というとめちゃくちゃ怪しいですが、信頼関係を築くための方法論としてはうってつけなのです。例えばこれ。

まず、あなたがすべきことは、社会の「問題点」を発見することです。(中略)そして、次に「前提」を用意して下さい。仏教の輪廻転生や、ムハンマドの使徒性に当たるものです。これは少々突飛なものでも構いません。ここまで出来たなら、後は「前提」を主張しながら、「問題点」を追及すれば良いのです。要するに、世迷いごとを口にしながら社会を口汚く罵っていれば良いということです。すると、どうでしょう。なんとインテリが勝手に「前提」と「問題点」の間を論理的に補完してくれるのです!

ヤバイガチのやつwww

かつて問題となったオ○ム真理教の信者になぜ高学歴なインテリがいたのか。

学年トップで超秀才だったあの彼はなぜたいして給料も高くないあやしいベンチャー企業に就職したのか。

このあたりの話がスッキリと理解できます。

インテリは総じてメタゲームが下手くそ、というかその存在すら気づいてないのがほとんどなので、自分の心を揺さぶるような問題点と前提を設定されると「これだ!」と飛びついてしまうわけですね。

あれ…なんかこれ週刊金融日記に似てますね。。。(笑)

 

とまあこの本の体系化された教祖マニュアルをみていくと、信頼関係を築くプロセスはシフォンケーキのようにふわふわして抽象度の高いものだけど、いくつかの要素がうま~く組み合わさり、その要素間の因果関係がうま~く作用していることがわかります。

ここでは紹介しないけど、実は僕の芸風を見事に言い得ている一節もありドキッとしてしまいました(笑)。

 

それで詳細は本を読んでもらうとして、ここで言いたいのは、結局この技術を何のために使うか、ということです。

この本に書いてあることを愚直に実行すれば、おそらく教祖になれるし、信者からお金を巻き上げることもできるでしょう。

教祖や信者という言葉を使わなかったとしても、似たような構造で高額な情報商材的なものを売りつけることもたぶんできます。

恋愛工学やナンパの技術だって、セックスを奪うために使うのか、相手を幸せにするために使うのか、その目的は人それぞれです。

問題は、私たちがその「世界」をどのように解釈するかということです。どう解釈したらハッピーに生きていけるのか、十人十色ですから、それは人によって違います。科学的に解釈するのも一つの選択ですし、キリスト教的に解釈しても、仏教的に解釈しても、イスラム教的に解釈しても構いません。それは自由ということになっています。「実はこれが正解でした!」というのが本当はあるのかもしれませんが、今のところ誰にも分からないので、自分がハッピーになれるものを選べばよいのです。教祖のお仕事は、そんな選択肢の一つを与えること、つまり、あなたなりの世界解釈を説くことなのです。

人生は複雑にみえていつだってシンプルです。

自分がハッピーになるために使えばいんです。

 

 

おしまい

 

参考文献